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学生時代は趣味のお供として、社会人となってからは商売柄ですが、たくさんの旅行関連の本を読んできました。
その中で、一番読み返した本といえば村上春樹氏の「
遠い太鼓」ですが、一番衝撃を受けた本といえば小田実氏の「
何でも見てやろう (講談社文庫)」です。
アメリカへのフルブライト留学生となるまでの導入部から、アメリカでの留学時代、そして欧州への旅行記と、海外旅行が自由化する前の50年代にこんなに自由闊達に自己責任で動いていた日本人がいたのかと、ただただ感動を覚え、以降の海外バックパック旅行への原動力となったのでした。
僕らの世代といえば、まずは下川祐治氏の
12万円で世界を歩く (朝日文庫)、次に沢木耕太郎氏の「
深夜特急」というのが定番だと思いますが、わくわく度はこれがダントツなんですよね。時代性なのか、ある種のプロジェクトXのように昭和への郷愁なのでしょうか。
享年75歳、闘病生活お疲れ様でした。ゆっくりと休んでください。実は読んでいなかった「
ベトナムから遠く離れて」を読んでみようかと思っております。
2007年07月30日03時52分
反戦、反核など国際的な市民運動に取り組んだ作家で、「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」元代表の小田実(おだ・まこと)さんが30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。75歳だった。自宅は公表していない。
1932年大阪市生まれ。45年の敗戦前日の8月14日に大阪大空襲を体験、そこで目の当たりにして後に「難死」と呼んだ「無意味な死」への怒りが言論活動や市民運動の源泉となった。
東京大文学部卒業後の58年、フルブライト留学生として米国ハーバード大学へ。このときの体験とそれに続く欧州・アジア巡りをつづった1日1ドルの貧乏旅行記「何でも見てやろう」(61年)がベストセラーに。飾り気のない文体と世界の人々と同じ高さの目線で向き合う姿勢が共感を呼んだ。
65年、ベトナム戦争に反対して哲学者の鶴見俊輔さん、作家の開高健さんらとベ平連を結成。米ワシントン・ポスト紙に日本語で「殺すな」と大書した反戦広告を掲載するなど、運動の支柱となった。
ベ平連解散後も、執筆の傍ら政治問題と正面から向き合い、市民の側から発言を続けた。76年には北朝鮮を訪問して当時の金日成主席と会見。87年の東京都知事選では当時の社会党から立候補を打診され、断った。
95年の阪神大震災は自宅で被災。公的支援の貧弱さを身をもって体験、被災者支援法成立に尽力した。04年6月、作家大江健三郎さんや評論家加藤周一さんらと、憲法を守る「九条の会」の呼びかけ人となった。
小説では庶民の生活に根ざした素材と言葉で、心のひだへ分け入った。「HIROSHIMA」で88年、第三世界最高の文学賞とされるロータス賞を受賞。97年に川端康成文学賞を受けた「『アボジ』を踏む」は演劇にもなった。
07年春に末期がんがわかり、親しい知人に手紙で病状を明らかにしていた。著書「中流の復興」では、武器を売らぬ平和経済で繁栄したことが日本の誇りであり、その基盤となった中流層の復権を訴えた。